关于跑步的日语对话 (日语跑步怎么说)

日语跑步怎么说,关于跑步的日语对话

僕はチーム競技に向いた人間とは言えない。良くも悪くも、これは生まれつきのものだ。サッカーや野球といった競技に参加すると(子供の時を別にして、そういう経験は実際にはほとんどないのだけれど)、いつもかすかな居心地の悪さを感じさせられた。兄弟がいないことも関係しているのかもしれないが、他人と一緒にやるゲームにどうしてものめり込めない。またテニスみたいな一対一の対抗スポーツもあまり得意とは言えない。スカッシュは好きな競技だが、いざ試合となると、勝っても負けても妙に落ち着かない。格闘技も苦手だ。

我不能说是一个适合团体竞技的人,好也罢坏也罢,生来便是如此。参加足球或棒球这类比赛——除却孩提时代,这样的经历几乎为零——总是隐隐感到不快。这也许和我没有兄弟姐妹有关,和别人共同参与的赛事,总是难以全身心投入。但像网球这样一对一的比赛,我也不怎么拿手。壁球是我喜欢的运动,可是一打比赛,不论是输是赢,我总是难以从容不迫。格斗技也非我所长。

もちろん僕にだって負けず嫌いなところはなくはない。しかしなぜか、他人を相手に勝ったり負けたりすることには、昔から一貫してあまりこだわらなかった。そういう性向は大人になってもおおむね変わらない。何ごとによらず、他人に勝とうが負けようが、そんなに気にならない。それよりは、自分自身の設定した基準をクリアできるかできないか----そちらの方により関心が向く。そういう意味で長距離走は、僕のメンタリティーにぴたりとはまるスポーツだった。

诚然,我并非毫无争强好胜之心。不过不知何故,跟别人一决雌雄,我自小就不甚在乎胜负成败。这一性格在长大成人后也大致未变。无论何事,赢了别人也罢输给别人也罢,都不太计较,倒是更为关心能否达到为自己设定的标准。在这层意义上,长跑方是与我的心态完全吻合的体育运动。

フル・マラソンを走ってみればわかるが、レースで特定の誰かに勝っても負けっても、そんなことはランナーにとってとくに問題にはならない。もちろん優勝を目指すようなトップ・ランナーになれば、目の前のライバルを凌駕することは重要な課題になるわけだが、一般の市民ランナーにとっては、個人的な勝ち負けは大きなトピックではない。「あいつには負けたくない」というようなモチベーションで走る人も中にはいるかもしれないし、それはそれで練習の励みにはなるだろう。しかしもし仮に特定のライバルが何かの事情でそのレースに参加できなくなり、その結果レースを走るためのモチベーションが消滅(あるいは半滅)してしまった、というのではランナーとして長くはやっていけない。

跑过二趟全程马拉松便会明白,在比赛中胜过或负于某个特定的人,对跑者来说并不特别重要。倘使成了夺冠的热门选手,超过眼前的竞争对手便成为重要的课题;然而对于普通的市民参与者来说,个人的胜负并不是重大话题。也许不无参赛动机就是“我可不愿输给那小子”之类的人,这种动机大约足以成为练习的动力。然而,那位竞争对手因故不能参加赛事的话,此人的参赛动机势必将告消失或者减半,那么他作为一个跑者,就不可能长期坚持下去。

一般的なランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」とあらかじめ個人的目標を決めてレースに挑む。そのタイム内で走ることができれば、彼/彼女は「何かを達成した」ということになるし、もし走れなければ、「何かが達成できなかった」ことになる。もしタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり、次につながっていくポジティブな手応えがあれば、また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、たぶんそれはひとつの達成になるだろう。言い換えれば、走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。

普通跑步者中,许多人都事先设定个人目标——这一次我要在多少多少时间之内跑完全程——然后再去挑战赛事。假如能在这个时间内跑完全程,就算“达成了某项目标”;如果未能跑出预定的成绩,就是“未能实现某项目标”。即便未能在预想的时间内跑完全程,只要有了业已尽力的满足感,或是为下次比赛奠定了些基础,抑或有了某种类似重大发现的东西,大约也算大功告成吧。换言之,在跑完全程时,能否感到自豪或类似自豪的东西,对于长跑选手而言,可能是最重要的。

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